「自分の頭で考える」


「自分の頭で考える」

筆者はこれまでに、だいたい100人以上の生徒の教務にあたって

きたが、生徒の中には、素直すぎて、我々、講師の指示通りにしか

問題をこなせない、講師の言う通りにしか動けない生徒も、複数いた。

その「素直さ」は素晴らしいのだが、人間はやはり、自分の頭で考え

ていかねばならない。

特に、数学などの、論理的思考能力が試される科目では、自分で

考えているか、いないかが、のちに顕著な差となってあらわれる。

本当に、しつこいくらいに述べてきているが、「自分の頭で考える」

癖をつけたかったら、やはり、「読書する」ことだ。

スポーツなども、かなり頭を使うかもしれないが、読書に比べると、

格段に、読書の方が、脳のトレーニングになる。

先日の記事でも綴ったが、読書は、脳の空白部分に、筆者の意見を

取り込む行為のみならず、「これは確かにそうだ」、「いや、この記述

は、少し違うのはないか」、と、物事を批判的に見るチカラも養われ

る。

ちょっと残酷な話だが、教養の深さというのは、その人のにも、

顕著にあらわれる。

日本でもそうかもしれないが、欧米のエリートの間では、その人の

使う言葉によって、教養の深さを測られると、以前、本で読んだこと

がある。

簡単な動詞ばかりを使う人間は、教養もそれなりだと思われてしま

うのだ。

世界のエリートは、例外なく、みな読書家だから、つまり、読書が

できないと、エリートの門の前にすら立てないことになる。

また、人間の教養の深さというのも、だいたい18歳、つまり高校

3年生までに、だいたい確立されてしまうもので、そこからの

挽回というのが、なかなか難しかったりする。

日本の学歴社会は、どんどん崩壊に向かっているとは言え、やはり、

18歳までの教養の深さで、人生が決定されてしまう側面も併せ持っ

ている。

筆者の場合、大学卒業まで、ほとんど教科書以外は読んだことがなか

ったが、社会人1年目から、読書に目覚めて、今はこうして、ほぼ

毎日、文章を綴っている。

これもひとえに、「自分の頭で考える訓練」をしてきたことの産物で、

生まれ持った才能などでは無い

自分の頭で考えらないということは、実は恐ろしいことだ。

昨今では、スマホのゲームなども、思考能力を奪う一因となっている。

もっともっと読書をして、自分の頭で考えていこう

考えて、考え続けた者に、成功の光は宿る

「本日のポイント」

「思考し続けよう」

2021年3月17日

安川 典孝

2021年03月17日