「数学的思考のススメ」

「数学的思考のススメ」

筆者は現在、進学塾で中学5科講師と、社会人家庭教師もしている。


生徒たちを見ていて思うのが、やはり、「数学を苦手」とする生徒が

非常に多いことだ。


「数学はセンスだ」と豪語してしまう識者も多いが、それで済んでし

まうのなら、良質な数学の授業など、もはや要らなくなる。


今回は、「数学な苦手」な生徒、「数学が苦手な子を持つ親御さん」、

あるいは、「数学な苦手なまま、大人になってしまった」ような読者

様に向けて、筆者の本音を綴りたいと思う。


まず、数学は、「論理」の科目である。

特に、「論理の積み重ね」の要素が強い。

よって、「論理的思考能力」を鍛え上げなければならない。


テストで言うと、大問1は比較的解けるのに、文章題や、文章が

絡んできた途端に、解けなくなってしまう方は多いだろう。

テストの大問1というのは、テストのレベルにもよるが、

「直観」でも解ける問題が多くなっている。

問題の制作者サイドとしても、どんなに数学の苦手な子にも、

できるだけ、「0点」は取ってもらいたくない心理が働くので、かな

りの「サービス問題」も含まれている。

大問1を解くには、「直観力」も必要なのだが、ある程度マジメに、

教科書読み込みや、問題集に取り組んでいれば、解けるはずである。

(大問1もままならない場合は、早い段階で、家庭教師などからの

マンツーマン指導をオススメする。)


そもそも、数学はやはり、「積み重ね」の科目なので、それ以前の

「基礎」がしっかりしていないと、大問1も得点できない可能性を

孕んでいる。


ここで問題にしたいのは、大問2以降だが、先述の通り、やはり、

「論理的思考力」を鍛えるに越したことはない。


では、どうすれば良いか。


筆者が個人的にオススメするのは、国語(現代文)を勉強しながら、

交互に、数学も勉強していくことである。

特に、国語の、「論説的文章」と交互に数学を勉強していくと、

その効果は高くなる。


こうして筆者も、毎日、文章を綴っているが、「論理の整合性」には

とても気を付けている。

個人的な好悪は別として、いわゆる、

「スジの通らない文章を書くブロガー」には、なりたくないのである。

その為、執筆に疲れるとよく、「中学数学」の問題などを解くように

している。


その点、「論説的文章」を多く読んでいると、それがよっぽどの悪書

でない限りは、しっかりと、あなたの「論理的思考能力」を底上げしてくれる。


若者の読書離れが叫ばれて久しいが、

(もっとも、それを食い止める一助になるべく、筆者はこのサイトを立ち上げたのだが)

最低でも、月に5冊は、「論説的文章」に触れて頂きたい。


そうして、「論理的思考能力」が培われてくると、数学の文章題に

しても、次第に、問題の言わんとすることが、つかめるようになって

くる。

そう、問題なのは、「国語力」なのだ。


話は少し、英語の方に逸れるが、あまりに加熱した、早期の英語教育

は、かえって、「日本語文化の衰退」を助長する。

早期の英語教育は、もちろん、間違ってはいない。

しかし、グローバルエリートに育てたいあまり、あまりに

幼児期から、過度に子供を英語漬けにさせてしまうのは、よくない

まずはある程度の、「国語力」、「日本語力」を養わないと、他の

科目もままならない。


少し話題は逸れたが、結局のところ、「急がば回れ」で、

「論理的思考力」を鍛えていきたければ、まずは、「国語力」を

上げるに尽きる。


例えば、「A=B」であるとして、「B=C」でもあるとする。

このとき、「A=C」が成り立つワケだが、直観的に、そうひらめく

ことのできる生徒と、そうでない生徒がいるのが、日々教えていると、

よくわかる。

つまり、「A=B」、「B=C」だから、「A=C」が、瞬時にひらめかないのである。


これは、物事を論理的に考える力が不足している証拠で、大人でも、

例えば、アルコールを含んで書いた文章などは、論理が崩れやすくな

り、感情的な文章になるので、読んだ側も、よくわかることが多い。


青森が生んだ偉大な小説家、「太宰 治」も、晩年は酒と薬物に

溺れていたが、そんな中でも、迫りくる死を予感させるような、

「退廃的」「破滅的」な文学を遺している。

しかし、彼の場合は、「破滅型天才」の称号がふさわしいだろう。

あまり、参考にはならない。


数学的センスを養いたければ、まずは「国語力ありき」と覚えて頂きたい。


また、数学の苦手な生徒の中には、難しい問題を前にして、

何分も、ウンウン唸っている生徒も多い。

筆者の場合は、2分ほど考えても解らなければ、素直に「解答を参照

する」ように促している。


そして、一度、「模範解答を全部、ノートに写す」よう、指示している。


「学ぶ」とは、「真似ぶ」とは、よく言ったもので、1ミリの無駄も

ない(と思われる)、「模範解答」を写してしまう勉強法は、多いに

メリットがある。


筆者が受験生時代も、数学でわからなかった文章題などは、10回ほ

、ノートに模範解答を写す作業をしていた。


どんな物事においても、「師から学ぶ」ことは重要で、数学の自学自

習の場合、「師」は、「模範解答」である。

剣道などでも、師の動き、所作を真似ることは、非常に重要である。


ただし、模範解答を写して満足していては、数学のチカラの向上は

望めない。

大切なのは、テストで「模範解答を再現できるチカラ」だ。


それには、例題、類題をたくさん解いて、解けなければ、「模範解答」

を暗記して、「場数を踏んで」、テストに臨むことだ。


そういった意味では、「数学は暗記科目」なのかもしれない。


すべてのテストは、「目の前の問題に対して、いかに正答を再現する

できるか」に尽きる。

特に、数学の場合はそうだ。

あの天才数学者、「ガウス」にして、「常に手を動かし続けた」

という。

私を含めて、おそらく天才ではない人たちはみな、

「手を動かし続けてナンボである」


もっと言えば、数学の勉強で、例えば、「映像授業の垂れ流し」は、

一番よくない

真剣に、問題の解法を真似るつもりで視聴するのは、大変良い姿勢

なのだが、そうでなければ、「テレビをひたすら受動的に眺めている」

ことと同じになってしまうので、

「解けない問題の模範解答を覚える」時間に充てた方が、よっぽど

生産性の高い時間となる。


数学について、まだまだ述べたいことはたくさんあるが、次回の

数学関連の記事に回すとして、本日の記事は、ここまでにさせて頂く。


最後までお読み頂き、ありがとうございます。


「本日のポイント」

「国語力は、数学力に直結する」

                2021年1月2日

                  安川 典孝

2021年01月02日