いつもご愛読を、誠にありがとうございます。
若干ですが、サイトを再構築致しましたので、
今後の投稿は、そちらにさせて頂きます。
よろしくお願い致します。
サイト管理人、安川典孝のブログです。
*ブログ開始が、「2020年10月1日」とありますが、正しくは、「2021年1月1日」です。
埋め込まれていて、直らない為、この文章をもって訂正させて頂きます。
いつもご愛読を、誠にありがとうございます。
若干ですが、サイトを再構築致しましたので、
今後の投稿は、そちらにさせて頂きます。
よろしくお願い致します。
いつも、トリガーブックスをご愛読頂き、誠にありがとうございます。
2021年1月1日にサイトを引っ越したばかりですが、今週末までには、
サイトを新たに再構築させます。
詳細はまたアナウンスさせて頂きますので、今後ともご愛顧のほど、
どうぞよろしくお願い申し上げます。
2021年3月27日
安川 典孝
「セール品は結局」
ファッションなどの、「セール品」には、結局のところ、落とし穴も
多い。
先日、筆者も、某通販サイトで、ワイシャツ3枚を、けっこうお得
と思われるお値段で購入したのだが、セット売りで安くなってはい
たのが、逆に落とし穴だった。
「形態安定加工が施されている」、と、サイトには記載があったが、
一度、着て洗濯してみたら、シワが極めて目立っていた。
生地もかなりうすく、着ていて全く、心地よくない。
セール品、バーゲン品は、結局、そのレベルなのだということを、
改めて思い知った。
また、「安物買いの銭失い」とも、よく言ったもので、洋服は、
安ければいいというものでも無い。
「お値段相応」、というか、安い服は、大衆向けの手抜き商品が
非常に多い。
服というのは、人間の一番、外の皮膚であって、それは、口ほどに
モノを言う。
せっかく同じワイシャツなら、形態安定加工はもちろんのこと、
やはり、上質なワイシャツにこだわりたい。
例えば、男性のワイシャツひとつとってみても、特に昨今では、
夏場のクールビズで、ネクタイを締めない機会が多くなっている
ため、より、襟元が目立ってしまう。
この時、比較的、お高めのワイシャツだと、ノーネクタイでも、
襟の裏地がしっかりしていたり、模様がついていたりするので、
だらしないノーネクタイになりにくい。
以前の記事でも述べてきているが、ファッションとは、相手への
敬意であって、決して自己満足で終わってはいけない。
もちろん、自己満足で、派手派手な色の服装やアクセサリーも、否定
したいワケではないが、「相手への敬意」という視点で考えた場合、
ちょっとクエスチョンマークが点灯することも、否めない。
基本的に、安っぽい服装をしていると、相手への敬意もそれなりと
受け止められがちなので、注意が必要だ。
「本日のポイント」
「服は口ほどに、モノを言う」
2021年3月23日
安川 典孝
「充電」
中3生を無事に送り出せた記念と、自分へのごほうびに、茨城県
大洗まで、「充電」の一人旅に出かけた。
大洗は、ことある度、何かの節目、節目でも来ている。
特にどこかを観光するワケでもなく、ひたすら海を眺めたり、
美味しいものを頂いたりして、まさしく「充電」の旅となった。
人間はやはり、電池のように、エネルギー切れしてはいけないので、
こうした、自分なりの、「充電できる場所」、あるいは、「充電できる
行為」を持つことは、非常に重要に思われる。
有名な作家も、原稿を書き上げると、独自の息抜き法で、また
充電して、仕事に取り掛かっている。
筆者にとっては、もう次の戦いが始まっている。
今度は、新受験生となる子たちを、来年また見届けるべく、全力で
挑みたい。
充電して、がんばって、また充電して、がんばって。
さあ、がんばっていこう。
2021年3月21日
安川 典孝
「自分の頭で考える」
筆者はこれまでに、だいたい100人以上の生徒の教務にあたって
きたが、生徒の中には、素直すぎて、我々、講師の指示通りにしか
問題をこなせない、講師の言う通りにしか動けない生徒も、複数いた。
その「素直さ」は素晴らしいのだが、人間はやはり、自分の頭で考え
ていかねばならない。
特に、数学などの、論理的思考能力が試される科目では、自分で
考えているか、いないかが、のちに顕著な差となってあらわれる。
本当に、しつこいくらいに述べてきているが、「自分の頭で考える」
癖をつけたかったら、やはり、「読書する」ことだ。
スポーツなども、かなり頭を使うかもしれないが、読書に比べると、
格段に、読書の方が、脳のトレーニングになる。
先日の記事でも綴ったが、読書は、脳の空白部分に、筆者の意見を
取り込む行為のみならず、「これは確かにそうだ」、「いや、この記述
は、少し違うのはないか」、と、物事を批判的に見るチカラも養われ
る。
ちょっと残酷な話だが、教養の深さというのは、その人の話にも、
顕著にあらわれる。
日本でもそうかもしれないが、欧米のエリートの間では、その人の
使う言葉によって、教養の深さを測られると、以前、本で読んだこと
がある。
簡単な動詞ばかりを使う人間は、教養もそれなりだと思われてしま
うのだ。
世界のエリートは、例外なく、みな読書家だから、つまり、読書が
できないと、エリートの門の前にすら立てないことになる。
また、人間の教養の深さというのも、だいたい18歳、つまり高校
3年生までに、だいたい確立されてしまうもので、そこからの
挽回というのが、なかなか難しかったりする。
日本の学歴社会は、どんどん崩壊に向かっているとは言え、やはり、
18歳までの教養の深さで、人生が決定されてしまう側面も併せ持っ
ている。
筆者の場合、大学卒業まで、ほとんど教科書以外は読んだことがなか
ったが、社会人1年目から、読書に目覚めて、今はこうして、ほぼ
毎日、文章を綴っている。
これもひとえに、「自分の頭で考える訓練」をしてきたことの産物で、
生まれ持った才能などでは無い。
自分の頭で考えらないということは、実は恐ろしいことだ。
昨今では、スマホのゲームなども、思考能力を奪う一因となっている。
もっともっと読書をして、自分の頭で考えていこう。
考えて、考え続けた者に、成功の光は宿る。
「本日のポイント」
「思考し続けよう」
2021年3月17日
安川 典孝